用務員ぢょんたが日々勝手なことを書き綴っています。

2009年04月25日

イデオロギー 

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草なぎ剛くんがお詫びの記者会見を開いた。そりゃ、酔っぱらって、全裸で公園で騒いだのだから怒られるのは当たり前だろう。しかし家宅捜索はやり過ぎなんじゃないだろうか。タレントだって人間だ、時にはハメを外すことだってあるだろう。バラエティー番組の罰ゲームでSMAPのメンバーにハリセンで殴られればそれで「終わり」の出来事だ。世間は大騒ぎし過ぎである。

「自転車の3人乗り解禁」についても同じだ。そもそも2人乗りだって禁止なのである。それを法律で取り決めすること自体おかしい。「良い」「いけない」を決めておきたいのはわかるが、あくまでも個人の自己責任であり、人間が生活の中で判断するガイドラインでしかない。これで3人乗りで転んで怪我をしたらまた「責任問題」を追求するのだろうか。

たまに、信号が青なら速度を落とさず突っ込んでくる人がいる。聞けば「青で自分が優先なのだからぶつかれば相手が悪い」という。確かに相手が悪いだろう。しかしそういう問題ではないことがわかっていない。痛い思いをするのは自分なのだ!誰が悪かったかは後の話しであって、怪我をしてから権利が認められたところで、怪我は治ったりしない。保険金をもらったところで生き返ったりしないのだ。道路交通法は神の契約ではなく、所詮、人が作った不完全なルールでしかないのに法律に依存し過ぎている。

最近の人たちはとにかく「責任」を追求する。事が起これば無理矢理にでも原因を究明して、応急処置のような規則を作る。そのバンドエイドの性能が一番重要なはずなのに、人々の関心はむしろ「責任・原因」に向いているようだ。ゴミの分別やコンニャクゼリー、タバコの自販機。代議士の失言問題や有名人のブログでの発言。あげればキリがない。細かいことに反応し過ぎなのである。物事を自分で判断できずにルールや規則で管理されないと生きていけない人間が増えている。重要で深刻な事と些細な出来事の区別がつかなくなっているようだ。

いまに、包丁は危険だから台所では野菜をハサミで切るようになるかもしれない。立ちションすると死刑で、トイレでのお尻の拭きかたも、使用するトイレットペーパーの長さもミリ単位で法律で決まるだろう。夜9時以降は外出禁止で、友達に膝カックンしたらたぶん退学だ。まったくあほらしい。

これは大変危険なイデオロギーであり、人間の「個性の消滅」「感性の消失」になりかねない。まさに「21世紀の静かなるファシズム」といってもいいだろう。実際こんなところでワシが警鐘を鳴らしても何も変わらないのだが、十数年前と比べると確実に人々の考え方は変わりつつある。いや、あふれる情報に溺れて個人の意識は無くなりつつあるのかもしれない。


posted by ぢょんた at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会(歴史、世界)
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