用務員ぢょんたが日々勝手なことを書き綴っています。

2009年04月27日

偶然は必然 

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友達のナオちゃんが死んだ。高校の後輩でまだ45歳だった。1年前にガンの告知を受け21日に亡くなったそうだ。20年ほど前に弟を亡くした彼は、さらにこの10年で両親、祖母と先立たれ、未婚で家族もいないまま、その家の最後の一人として安らかに息を引き取ったという。さぞかしさみしかっただろうと思うと、何もしてやれなかった自分にも腹が立つ。ナオちゃんとは、もう十数年会っていなかった。以前はかなり親しくしていたのだが、住まいが離れていることもありいつの間にか疎遠になってしまっていた。

友人からメールで知らせを受けたとき、ワシはたまたま東京から自宅へ帰ってきていた。通夜は彼の自宅でおこなわれるという。東京にいたのなら訃報を聞いてもどうしようもならないのだが、自宅からナオちゃんの家までなら車で1時間足らずのはずだ。家族ぐるみで親しくしていたので妻も通夜には行きたいという。ところが、誰もナオちゃんの家を知らない。彼が来るばかりで誰も行ったことがなかったのだ。そこで、無理をいって同級生の友人に高校時代のアルバムから古い住所と電話番号を教えてもらい確認のために電話をかけてみた。だがコールはすれど誰も出ない。

連絡をくれた友人は、ナオちゃんとそれほど親しいわけではなく、ちょっとした付き合いから彼の死を聞いたのだそうだ。それは、知り合いの友達の友達というつながりであり、さらにその友達のワシの耳に入るには、かなりの偶然が重なっていると思われた。これはどう考えても行くべきだ。でないと後で後悔する気がしてならなかった。

理由はわからないが、電話をしても誰も出ないので正確な日時の確認がとれない。住所も市町村合併前のもので、古いので地図で確認ができない。しかし、字(あざ)はわかるし、近くまで行けばなんとかなるだろうと思い、行き当たりばったりで出かけることにした。1時間ほど車を走らせ、もう少しかと思いながら、ふと道路脇を歩く人に目をやると、なんと喪服ではないか! すぐさま車から降りて聞いたところ、確かにいま通り過ぎた道沿いに法要の灯りが見える。その人たちが歩いていなければおそらくずいぶんと通り過ぎてしまっていただろう。

初めて入るナオちゃんの家は、田舎の旧家という感じで大きなものだった。ちょうどお経が済んだのだろう、坊主が二人、ワシらと入れ違いだった。受付を済ませ親族のあいだを通って仏前まで進むと、広い日本間の真ん中に、立派な布団を掛けられたナオちゃんが静かに横たわっていた。

ナオちゃんはとてもガンで死んだとは思えないほど凛々しい顔で、いまにも「なんちゃってー」と目覚めそうなくらいだった。これも偶然で、遅れていったおかげで、彼の枕元で生前の様子などを親戚のおじさんからゆっくり聞くこともできた。

この度はかなりの偶然が重なって、ワシらにとっては運命というか、導きのようなものを感じざるをえない。彼が最後に会いたいと願ってくれたんじゃないかと勝手に思っている。告知を受けてこの1年、友達に「見舞いなど来なくていい」とつよがっていたそうだが、時折ふと自分の人生を振り返って様々な思い出がよみがえったに違いない。その記憶の一片にワシらもいたのかもしれない。

もうナオちゃんになにもしてあげられないけど、せめて、あの優しく人なつっこい笑顔を、ワシは死ぬまで忘れないだろう。カラオケに行くと決まって歌ってくれた『東京ラプソディー』とともに。
posted by ぢょんた at 03:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 道徳(こころ)
この記事へのコメント
慎んでナオさんの御冥福をお祈り申し上げます。
最期に会えてよかったですね。きっとナオさんが不思議な力でぢょんたさんを導いたんですよ。俺はこれから天国で家族みんなと楽しく暮らすから、よろしくな。今まで世話になった、ありがとう。と伝えたかったと思います。合掌
Posted by やすけ at 2009年04月27日 20:05
うん。世話になるばかりでなにもお世話しなかったのでむしろ「せめて最後に挨拶くらい来いよ」という感じでしょうか。そうですね。家族がやっと一緒になれたと考えれば気持ちがほんの少し楽になります。
Posted by ぢょんた at 2009年04月27日 23:04
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