用務員ぢょんたが日々勝手なことを書き綴っています。

2007年12月09日

ハルキスト 

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きょうは実家のほうへ帰ってきている。5時間も列車に乗っているとさすがに飽きるのだが、そんなときの旅のお供に欠かせないのが文庫本だ。読書の秋などといいながら先日から村上春樹なんぞを読ませていただいている。

村上春樹自体は名前を知っている程度で、なんら知識はなかったのだが、読んでみるとこれがなかなか面白い。ハマってしまった(ワシのような俗っぽい人間には、ちょっと鼻につくようなところもないことはない)。こんなに寒くなってきて「読書の秋」でもない時期にすでに5冊も買ってしまった(読み終えたのは2冊)。最初に読んだのが一番有名な「ノルウェイの森」だったので当然といえば当然なのかもしれないのだが。

若い頃はかなりいろいろ(偏ってはいたが)読んでいたのだが、家庭を持つようになってからとんとご無沙汰だった小説。好きな時間にマイペースで読めるのはとてもいいし、読んだ人それぞれで活字から想像する印象や、受け止め方が違うというところが魅力のひとつなのだろう。作品の評価はいずれ書くことにして、しばらくはやめられそうにない。

「ハルキスト」村上春樹にはまっている人のことをそう呼ぶらしい。
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2007年08月26日

三河弁は標準語!? 

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リザ島は現在、愛知県の東三河というところにある。どこでもそうだが、この地方にも独特の方言が存在する。「三河弁」だ。ワシはしばらく東京で暮らすことになるので、東京人との会話の際、なるべく方言は避けようと思い、あらためて調べてみた。以下がその代表的なものだ。(列挙するが意味は省く 50音順)
あかん あたける あっこ あーへん あらすか ありんど あんき いごく いざらかす いじくる 石な いっしょくた いっとる えばる えらい おいでん おうじょうこく おこわ おし おそがい おとましい おまん みあいこ かえこ かう かっちん がれ きない きわ きんにょう くすげる ぐろ くるう けなるい げな けった ござる こしゃう こすい こびそ こんきい ざいしょ さばくる さぶい じべた じゃん しゃばじゅう じゅるい せばい ぞぞ毛 たあけ だだくさ だに だら たるい ちいと ちゃっと ちょうける ちょごむ ちみくる ちんぎる ちんちん つれ つくねる ど どべ とろくさい にすい ぬくとまる ねち のうなる ひしゃげる ひずるい ひとねる ひっくらかす ひずるしい ふちゃる ふんごむ へぼい ほう 放課 ほかる ほせ ほだ まあ まい まっと まる まんだ みえる めっそ めんた もだごと ももた ようけ よされる よそう よど よんどくれん らんごく りん やぐい やっとかめ やろまい わきゃない わや
半分以上わかれば残念ながら立派な三河人だ。(意味の説明はいずれまた)

動詞の活用とイントネーションにパワーを発揮する三河弁。一番の特徴は、語尾に「じゃん・だら・りん」「まい・だに」が使われることじゃん。「そう」などの「そ」がことごとく「ほ」になったりすることもあるだに。

ところがこの「三河弁」、標準語に非常に近い性格を持っているということをご存知だろうか。そもそも現在の標準語は三河弁から生まれたという説まであるほどだ。アカデミズムでは三河弁と標準語の直接的な関連性は薄いとしているものの、考えてみてほしい。現在の標準語の元になるものが東京に広まったのは江戸時代といわれている。それまでは江戸弁というものが普及しており、江戸弁自体は今の標準語とはまったくちがう文法を持っている。

では、もともとあった言葉を差し置いてまで、どこから標準語というものが入ってきたのか。ご存知のように江戸幕府を築いたのは徳川家康である。家康といえば三河人なのだ。江戸へ進出した、いわば「お上りさん」で、征夷大将軍になり以後270年間、現在の東京を統治したわけだ。

もうお分かりだろう。お上りさんが自国の言葉を使わないわけはない。単身赴任であるはずもなく、江戸へのぼった徳川家の人たちはたくさんいただろう。頂点にいる将軍家が使う言葉は当然周りに移るだろう。おそらく徳川家が現在の標準語の元になった「三河弁」を持ち込んだのだ。だから文法が類似しているのだろう。それが少しずつ変化して現在の標準語になっていった。いわば「三河弁」は元祖標準語なのである。

お上りさんは、田舎者と思われたくないがために、とかく地元の言葉を隠そうとする。が、しかし「三河弁」だけはちがうのだ。堂々と使っていい言葉のはずだ。せいぜいワシが行ってしゃべりまくってやる。そして少しでも多くの「三河弁」を普及させてやる。東京人が標準語とカンチガイしている「じゃん」や「ど」のように。

しかし、そもそも意味が通じないかもしれない。クラブへ行って踊り疲れたおねいさんに「なんだん おしゃぁ こんきそうだのん 人がだだくさもないおるで えらいかん ほいだったら ぐろいって ちいと よされとりん」などと優しい言葉をかけてあげても誰も理解してくれないだろう。やっぱだめぽ orz
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2007年08月13日

<わいせつ> 

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人の目を引きつけるという意味で究極のコピーはおそらく<わいせつ>だろう。大手企業は大金を投じて毎回、商品のキャッチフレーズを考案しているわけだが「読ませる」ということだけを念頭におけば、そのすべてを蹴散らしてしまうほど <わいせつ> にはパワーがある。

<わいせつ>猫のタマ、5匹の赤ちゃん無事出産おめでとう!

<わいせつ>おばあちゃんの手作りたくあん出荷開始。

<わいせつ>主婦の知恵、ゴミ出しテクニック拝見しました。

とまあ、なんでもないコピーもおもわずクリックしたくなる。
だからといって、やたらに使えるわけではないのだが。。。
え? ならない? ワシだけか。

写真は
<わいせつ>鈴カステラとハムスター...かわいい。
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2007年06月29日

一姫二太郎 

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「一姫二太郎」という言葉を知らない人は少ないだろう。意味は【最初は女の子で次は男の子が理想的】、いや【女の子一人と男の子二人が理想的】あれ?あれ?覚えていたつもりでもすぐどちらだったかわからなくなってしまう(ワシだけか?)。正解は前者で、女の子のほうが育てやすいし、下の子の面倒をみるなど母親の手助けを早くからしてくれるので理想的と言われているらしい。またその昔は、最初に生まれてくる子供は跡取りとしての「長男」が望まれていたため、女の子だった場合の「慰め言葉」としても使われたようだ。

ではなぜワシは混同してしまうのか! それはどちらの説も、もっともらしい説明があるからだ! 男の働き手が二人いたほうが将来的に安泰であるとか、三人寄れば文殊の知恵とか、あるいは次男がいれば、いずれ新家として出て行くので家系としての広がりがあるとか、いかにもそれらしい。少子化で人口減少の現在では、むしろ後者のほうを正解にしてしまったほうがいいのかもしれない。

しかも、最初が女の子で、男、男、と来た場合にどちらも含まれてしまい、さらに混乱を招く。そこで間違えない覚え方として気づいたことがある。そもそも源氏物語などによると「太郎」いうのは長男のことだそうで、2人の長男というのはありえない。太郎=長男ということさえ覚えれば間違えないわけだ。

もともと「一姫二太郎」というのは全体の数のことではなく、最初と二番目だけのことなのだ。だから最初が女の子で次が男の子なら、あとはどちらを生んでも生まなくても、「一姫二太郎」といっていいことになる。

他にも、なんど聞いてもどっちがどっちだったか覚えられない言葉がある(「おざなり」と「なおざり」など)。この「逆説否定法(仮題)」を使えば覚えることができるかもしれない。
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2007年06月01日

ミステリー?サスペンス? 

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写真は横浜中華街で売られているという「サスペンスミルククッキー」
(写真無断借用)。m(_ _)m
「被害者はここにうつぶせで倒れていたんです。。。」

ミステリーとサスペンスの違いを問われた。答えは、
「ミステリー」・・犯人をさがしていく物語
「サスペンス」・・犯人はわかっていて、その過程をさぐっていく物語
ということだったのだが、そういえばその話、以前どこかで聞いたことがあった。

たまたま、映画の評価を書いている時だったので、この際もうちょっと詳しく調べてみることにした。(ほとんどWikipediaだが、ウィキもしばしば、いい加減なことが書いてあるので要注意)

それによるとこうだ。
ミステリーは「神秘的、謎、不可思議」とあり、
サスペンスは「ある状況がサスペンド(ぶらさがった)されたまま進む時の不安な心理状態」
とのこと。

自分の認識だと、ミステリー=謎。サスペンス=不安・恐怖(対象が人)だと思っていたので、あながち間違いではなかったようだ。

だから謎や不思議を題材にした小説や映画はすべてミステリーといっていいわけで、例えば「ダビンチコード」のような物語も、犯人とかいないけど(いるとしたらダビンチ本人)、ミステリーだし、もし「聖徳太子は実在したか!」みたいなドキュメンタリーのようなものがあれば、それもミステリーということになる。

一方、「ダーティーハリー1」(思いつかないので例えが悪いが)など、刑事ものによくある、犯人はわかっていて、そいつがある人物を狙っていて「危険が迫りつつある」ような話はサスペンスといえるだろう。

ということは「金田一シリーズ」などの犯人はわからないし、恐怖や危険も迫ってくるような物語は、両方の要素が含まれているのでサスペンス・ミステリーということになる。

もっというと「火曜サスペンス」は、ほとんどサスペンス・ミステリーだ。

結局のところ対意語ではないので、実際は「ミステリーとサスペンスの違いは?」というのは無理な話だ。「ミステリー」というのは、極端な危険はそれほどなく、好奇心や立場などから謎を究明していく物語で、謎などはあまりなく、心理的な圧迫感や不安を盛り込んでその過程を描いた物語が「サスペンス」といえるだろう。
ようするに違いということではなく、その要素が強いかどうかということで、逆に考えたほうがよさそうだ。
犯人をさがしていく物語は、ミステリー要素がある。
過程をさぐっていく物語は、サスペンス的な内容。
「甘辛い玉子焼き」は、塩も砂糖も入っている。

たとえば、だ。
謎の男(実はゾンビ)がある女性を愛してしまって、その人には大変優しいのだが、本来の本能で次々と、しかもこっそりと人を襲っては喰ってしまう。その事件を解決するため派遣されたオヤジギャグ連発のダサイFBI捜査官は、こともあろうにヒロインと恋に落ちてしまうのだが、ラブラブになったところへゾンビ登場。「ヤメて」と哀願する女に心が動きゾンビは逃げ出すが、オヤジギャグ男はそれを追跡。カーチェイスの末、ゾンビはハンドル操作を誤り、火口に落ちたら火山が大噴火して、街は壊滅状態になってしまったが、なんとゾンビは生きていた。銃で撃ってもヘッチャラで、さらには殴り合いになったが、こんどは意外にあっさりFBIの男は勝ってしまった。それもそのはず、男は実は宇宙人だった。UFOが飛んできて街を消火してくれて一件落着。めでたしめでたし。
という物語だと、スプラッター・ホラー・スリラー・ラブロマンス・アクション・スペクタクル・コメディ・サスペンス・ミステリー・サイエンスフィクション・アドベンチャー・ヒューマン・バイオレンス・パニック・ミュージカル(どこが!)ストーリーということになる。ならんわ! 悪ノリはこれくらいにしておきます。今日は書きすぎだぁ。
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2007年04月19日

いろは 

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機種に依存しない小文字のひらがな(またはそう見える)をさがしていたのだが、残念ながら【ぁぃぅぇぉっゃゅょゎ <ιτ】しか見つからなかった。さらに今日【κ】を発見。そこで並び替えて(重複して使わず)文章を作ってみたのだが、これがなかなか難しい。

ぁぃっ ゅぅゎ< ιτぇょ ぉκゃ

そういえば「いろは」はそういうルールでできていたはずだ。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

【色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず】
それぞれが「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」を表すと言われる。(というか読めないぜ)

しかしまぁ昔の人は、なんとも雅というか賢いというか。。。(よっぽどヒマだったのか)

しかもさらに驚くべきことに、江戸時代の「忠臣蔵」。四十七士の話。「いろは」も47文字。それを7文字ずつで行替えしてみると、
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす

行の末尾に「咎(とが)無くて死す」(罪がなくて死ぬ)という文字が出てくる。これは人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎にも関係しているのだが、赤穂浪士四十七士は仇討ちの罪で切腹させられている。罪がなくて死んでいるのだ(ないとは言えないけど)。偶然だろうか。「いろは」が文献上に最初に見出されたのは1079年(平安時代)であり、忠臣蔵(1703年)よりずいぶん前である。もしわかっていて書いたのだったら“予言”になってしまう。さらに5文字目をたてに読むと「ほをつのこめ(本を津の小女)」と読める。「罪なくして死ぬがこの本を津の妻へ」という解釈もできる。
一文字も重複せず、無常観の哲学を語りながら、なおかつ未来の予言をこめる。恐るべし「いろは」(作者空海説は薄い)。

ワシはこじつけだとおもうがね。
ワシができることはせいぜいこれくらい。

<ゎιぃ ゅぇκ ぉゃっ ぁτょぅ

ょзι<   ζ"ょ
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2007年04月11日

文字化けしない? 

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ょιτ ゅぅゎ< ぁ ぃゃ ぉぇっ

ょ3ι<   ζ"ょ
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2007年03月29日

読み間違いやすい漢字 

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めったにお目にかからないような漢字はともかく、よく見るのに読み間違えている漢字は多い。
凡例(ぼんれい) 帆船(ほせん) 老舗(しみせ) 御用達(ごようたつ) 私怨(しおん) 幾何学(いくなんがく) 脆弱(きじゃく) 翻訳(はんやく) 帰省(きしょう) 忌中(もちゅう) 改竄(かいそ) 廉価(けんか) 破綻(はじょう) 月極(げっきょく) 一朝一夕(いっちょういちゆう) 一期一会(いっきいっかい) 巣窟(すくつ) 歪曲(わんきょく) 日本武尊(にほんぶそん) 既出(がいしゅつ) 添付(そふ) 弔問(いもん) 疾病(しつびょう) 団塊(だんこん) 訃報(けいほう)などなど。(ひとつでも上記のように読んでいるものがあったら今すぐ正しい読みを調べるべし)

早急(さっきゅう・そうきゅう) 重複(じゅうふく・ちょうふく) 代替(だいたい・だいがえ) 続柄(ぞくがら・つづきがら) 貼付(ちょうふ・てんぷ) 開眼(かいげん・かいがん) 遺言(ゆいごん・いごん) 競売(きょうばい・けいばい) 世論(よろん・せろん)のように、現在ではどちらでもオッケーなものもある。

また、相殺や最中など、使う状況によって読み方が変わる場合もある。
「借金の相殺(そうさい)の話でもめて喧嘩になり相殺(そうさつ)した」
「僕はセクースの最中に、最中を食べるのが好きだ」(そんなやついないだろ)

「おいしい最中に舌鼓(したづつみ○ したつづみ○ したつずみ× したずつみ×)を打つ」
だから日本語って難しい(むつかしい○ むずかしい○ むづかしい×)
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2007年03月23日

おたまじゃくし 

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近江の多賀大社のお守り「御多賀杓子」のかたちが似ていることから「おたまじゃくし」と言われるようになったというのだが、はたしてどうだろうか。おつゆをすくう半球体の杓子を「お玉杓子(略しておたま)」という。別にどこの杓子だってかたちは似ているわけだから、「お玉杓子」が訛って「おたまじゃくし」になっただけであって、「おたがしゃくし」のほうはこじつけだと思う。
「ゴキブリ」だってそうだ。“御器かぶり”(食器棚の茶碗などの下にいたりするから)が変化したものだというが、あやしいものである(と友人もいっていた)。だいたいそれだったら無理して訛らなくたって「ゴキカブリ」と言うだろう(あるいはチャワンシタとか)。また調理場などの隠語でゴキブリのことは「アニキ」というところがあるらしい。そりゃそうだ。食品を扱う場所で「ゴキブリ!」なんて言えないだろう。外部の人に聞こえたら大変だ。だから「おい、フライパンの中にアニキがいないか気をつけろよ!」と言うそうだ。

電話に出るときに日本人は「モシモシ」という。これは初めて電話の開通テストをしたときに「申します。申します」といったのが短くなったものだというのは有名な話だ。では、その時にテストした人が役職的に偉い人で「言うぞ。言うぞ」とか「しゃべるぞ。しゃべるぞ」などといっていたら「イウイウ」とか「シャベシャベ」と今では言っているのかもしれない。(女子高生もイウイウ、シャベシャベなのか!?)

しかしながら、童謡「うさぎとかめ(作詞 石原和三郎)」は、1900年(明治33年)ぐらいに世に出ている。冒頭でいきなり言っているではないか! ♪もしもしかめよかめさんよ♪ と。ただし、日本の電話1号機は1878年に完成している(サービス開始は1890年)。確かに「うさぎとかめ」の作詞に間に合わなくもない。だが、そんな流行言葉を「幼年唱歌」に使うだろうか。ワシは思う。もっとずっと以前から日本語の“問いかけ語”として「もしもし」は普通に使われていて、決して「申します。申します」が訛ったわけじゃないのだと。

関係ないけど、猫がスフィンクスのようなポーズで座?っているのを見ると、どうしても「カマドウマ」を思い出してしまう。(というか写真の野郎はデカすぎ)
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2007年03月15日

ドッジボール 

(2004米) ★★★★★5点
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近所のフィットネスクラブから買収をかけられた貧乏ジムの連中が、賞金目当てに「ドッジボール大会」に出場するというギャグコメディ。終始あきれてしまう展開です。日本のドッジボールとはちがい、1チーム6人でボールも6個使います。やってみたくなりました。
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2007年03月08日

へんな言葉 

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やたらとやったら。見てみてみて。よくなくない? 

【永遠に言ってみよう】
ブタがブタをぶった。ぶたれたブタはぶったブタをぶった。ぶってぶたれたブタはぶたれてぶったブタをぶった。

一方を「仏陀」に置き換えてみると、
豚が仏陀をぶった。ぶたれた仏陀はぶった豚をぶった。ぶってぶたれたブタはぶたれてぶった仏陀をぶった。

さらに仏陀同士にしてみると、
仏陀が仏陀をぶった。ぶたれた仏陀はぶーたれた。

こうのこうこうこうこうこうこうしはこうこうっこ
(国府の国府高校高校講師は孝行っ子)

お局様のお局。ヽ( ´ー`)ノ

写真は変な写真(あちこち見ていると・・・グリグリ、うにゃうにゃ)
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2007年03月03日

北の零年 

(2004日) ★★★★★★★7点
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明治4年、北海道に移住させられた徳島藩の淡路・稲田家。未開の地での過酷な環境の中で生き抜いた人々の物語。数々の試練が襲いかかり絶望と混乱の中、それでも必死に生きようとする人々。ラストシーン志乃(吉永小百合)がいいます。「我らの土地です。ここから始めたのです。この土がある限り、また始められる」と。『風と共に去りぬ』を思い出してしまいました。
主演の吉永小百合(63)と渡辺謙(48)は夫婦役ですが15歳も歳が離れています。いつまでもお若い吉永小百合に+1点。アイヌ人役(本当は違うけど)の豊川悦司もかっこ良かったです。
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2007年02月19日

あしたの夜 

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変なことに気づいた。“きのうの夜”のことを「昨夜」、“きょうの夜”のことを「今夜」というけれど、“あしたの夜”という意味で「来夜」とか「明夜」とはあまりいわない。だからなんだといわれると困るが....。また、“悪い事”をする時は「手を染める」というけれど、“悪事”をヤメる時は「足を洗う」という。汚れたのは「手」じゃないのかあああぁぁぁ!
写真は手を染めてしまったRX-78-2容疑者。
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2007年02月09日

字幕スーパー 

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外国映画を観るときは、ほとんどの人が「字幕スーパー」で観るだろう。吹き替え版だと俳優の声の演技が伝わってこない。ただ難点は、文字を読んでいる瞬間「絵」を観ていないということだ。セリフが多くて、しかも一瞬のシーンだと「え?いま、なにかしたよね?」(視界には入っているので)と、人に聞いたり、おもわず巻き戻してしまったりすることもある。

先日、ウィル・スミスが「幸せのちから」のプロモーションで来日していたとき、あの「戸田奈津子さん」がインタビューの通訳をしていた。会場からの「スミスさんご本人は、この映画の主人公のような大きな人生の転換期はありましたか?」という質問に、彼は「人生にはいろいろな転機があります。この映画はそういうチャンスを努力と愛の力でものにした男の物語です」みたいな返事をしていて、あきらかに「戸田さんちゃんと伝えてないでしょ」という場面があった。

大胆な字幕で有名な戸田さんだが、彼女が悪いわけでもなく、英語ごときが出来ない日本人(ワシ)が悪いのだ。英語が解ればなぁとつくづく思う。

long time ago....アゴは時に長い(ナンダコノヤロー、ダー!)
写真はJohnさんのお墓。
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2007年02月07日

ら抜き言葉 

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ふとポスティングされたビラ(写真)を見て思った。“らぬき中止”“中学校卒業”“安倍首相よ”...「お!若者の乱れた日本語に、ついに文部省や教育委員会が動いているのか?!」....んなわけはなく、「増税に反対つらぬき」でした。

言葉は生きている。いまや「ら抜き表現」のほうが普通だ。だってその方が物事を的確に表現できるもん。そもそも「れる」「られる」のように活用する動詞には、可能、受身、自発、尊敬などいろいろな意味が含まれるのだが、「ら」を抜く場合は「それが出来る(可能)」という時に限定される。だから文脈から判断しにくいものが比較的絞り込まれるという利点がある。

例えば「先生は答案用紙を見られる」という場合、可能なのか自発なのか、尊敬とも取れるし、よくわからない。が「先生は答案用紙を見れる」とすれば、可能だということがすぐに理解できる。

それでは「尊敬」の意味も含めたい時はどうすればよいか。そういう場合は「先生は答案用紙をご覧になる」とするか、またはやたらに「お」を付けて「お先生はお答案用紙をお見れる」とすればよろしい。

国の国語審議会は、現時点では「認知しかねる」と言っているが、そもそも「れる」「られる」の語源は古語の「る」「らる」である。もっと古くは「ゆ」「らゆ」だということだが、「見らゆ」なんて誰も使ってはいない。そんな審議をしているより早く言葉は変化していくのだ。

名詞まで動詞扱いをしたり(ググる等)、英語と混在させたり(バトる等)、しまいには「萌え」である。長野のほうでは、冬の夕暮れなどに住民がすれ違うとき「どさ」「ゆさ」で会話が成立するそうだ。「どこさ行くのさ」「湯にいくのさ」という意味だが、寒い地方では長い立ち話は命取り。まったく合理的である。

ワシの住むリザアイランドでも「ら抜き表現」は普通にあることだが、逆に「ら」を別の表現でも使用する。「来れるら」この場合の「ら」は疑問と確認、軽い親しみを含んでいる。正しくいうと「来られますよね」という意味になるが、それじゃどうも堅苦しい。「ら」ひとつで疑問、確認、親しみである。方言は素晴らしい!

知らなくて使えないんじゃなんだけど、知っているけどあえて自分の言葉で会話する。これがナウい使い方だぜ、ファッキンアイラビュー。

レ レ レル レル レレ レロ レヨ レロレロLo....
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2007年01月30日

へべれけ 

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ひどく酔っぱらっている状態のことを「へべれけ」という。これはギリシア語の「ヘーベー・エリュエケ(ヘーベーのお酌)」という語句が訛ったという説がある。
神話の時代、ゼウスとヘーラーの娘で、のちにヘラクレスと結婚したヘーベーは、たいへん美しい女神で、ヘーベーにお酌をしてもらうとだれでも喜んで「爆飲み」してしまい、ついには泥酔してしまうことから「Hebeerryk」という言葉ができたそうだ。
それが日本にも伝わり、ヘーベーエリュエケ→ヘベリュエケ→ヘベレケとなったと言うのだが、はたしてどうなのか。
「べろんべろん」「でろんでろん」「べろべろ」などの擬態語があるし、ろれつが回っていない様子を(ベロとか泥など)表現した語句も多いので、この辺りから変化したものと考えるほうが妥当なのではないだろうか。

写真は酔っぱらいとは関係ないけど、娘が持ってきた「イチゴ狩り」のおみやげ。
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2007年01月10日

放送禁止用語 

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怪奇大作戦という古いテレビドラマを観たら、現在の放送では使われないセリフをバンバンいっていた。放送禁止用語はいくつかに分かれるが、中でも肉体的、精神的侮蔑とみなされる言葉は使ってはいけないことになっているようだ(自主規制も含めて)。
直接的には
かたわ:身体障害者
めくら:視力障害者、目の不自由な人
つんぼ:耳の不自由な人
おし:口の不自由な人、聾(ろう)者
びっこ、ちんば、いざり:足の悪い人、足の不自由な人
がちゃ目、ロンパリ:斜視
植物人間:植物状態人間
白痴:精神障害者
きちがい:(原則として使わない)
せむし、みつくち:(なるべく使わない)
等々他にもたくさんある。
「知恵の遅れている子供」には侮蔑の意味はないので使ってもよいということだが「知恵遅れ」というのは確か使わなかったとおもう。

こうして見ると、本来の「肉体的、精神的侮蔑」にあたる言い方が極端なものがあるようにはおもえない。語源がわからないものもあるからなんともいえないが、少なくとも「めくら」に侮蔑しているような意味はない。「目が暗い」から「めくら」なわけで、気が違っているからキチガイだし、植物状態の人間だから植物人間なだけで、侮辱とか差別しているつもりはない。近眼だから「メガネ」だし、背が高いからノッポ、音感が鈍いから音痴という。

ようするにストレートにものを言わない日本人は、絶対的に対象が少ない状態を直接表現すると侮蔑されたように感じてしまうようだ。

白髪(はくはつ)の人に「しらが」といっても、特に抵抗がないのに、頭髪が薄い人に「ハゲ」というと相当不愉快な思いをされるようだ。「よい(または普通)と一般的におもわれる事柄」については、問題ないのだが、「一般的に悪いとおもわれる事」に特に差別を感じるらしい。例えば男性に対して「巨漢」といえば褒め言葉になるだろうが女性には使わないし「痩せている」といえばその逆になる。

「バカチョン」という言葉が使われなくなって久しいが、これは「バカでもチョン(朝鮮人)でも」という意味で、頭の悪い人と朝鮮人を同列であつかってしまっているので、明らかに侮蔑だとおもう(バカが朝鮮人を形容しているわけではないが)。これに対して最近は問題が起こらないよう「サルでもわかる」とか「イヌでも出来る」など、対象を人でないものに置き換えた言葉にシフトしている。

眠くなってきて、なにを書きたかったのかわからなくなってしまった。
ようは遠回しな言い方で納得するなら、それでもいいけど、もう少し短くて不快感を与えない言葉をそれぞれ、誰か考えてくれないかな。“トルコ風呂=ソープランド”みたいなさ。
ダークアイとか。。。「〜の不自由な人」ばかりじゃ使うほうも不自由だとおもうのです。

写真はまたしても関係ないけど、松井選手と黒人のご婦人。
ずいぶん変わるもんだね。
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2006年12月01日

鬼のよう 

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本来は、鬼=力持ち、巨漢、冷酷、無慈悲、怖い形相、悪者といったところか。そのイメージを例えて「鬼のよう」と比喩したりする。
「鬼のような戦いぶり」「鬼のような顔をして」など。ところが、現代ではもっと広い意味に使われる。「鬼のように食う」(たぶん大食いだろう)「鬼のように働く」(仕事熱心さが伝わってくる)など、どちらかというとその時の見た目というよりも、行動自体を誇張する表現に使われる。

「鬼のように大声で笑う」「鬼のように勢いよく走る」など、他に修飾語や形容詞が付けばいいのだが、「鬼のように笑う」「鬼のように走る」となると、どうもワシは「鬼」自体を形容詞と感じてしまい、つい、見た目を想像したり、逆に想像できなくて笑ったりしてしまう。

「鬼のようにテレビに夢中」(鬼はテレビ好きか)
「鬼のように風呂がながい」(そりゃ風呂好きだろう、なんとなく)
「鬼のようなコーナリング」(鬼は運転もうまいのか)
「鬼のように料理が上手」(料理の達人だったのか)
「鬼のようなギターテクニック」(ギターもうまいのか)
「鬼のようにパソコンに詳しい」(鬼はなんでもできるなぁ)

「●●の鬼」とくれば、特に違和感もないのだが、後ろに修飾語などがくると特に笑える。
もっとありえない使い方もされている。

「配水管が鬼のように臭い」
「今夜は鬼のように寒い」
「彼女、鬼のようにカワイイんだぜ」
「鬼のようにちっちゃい子猫」
「鬼のようにヤセている」
「鬼のようにうまい!」(オニ食ったことあるんか!?)など、いくらでも出てくる。

ようは「超」や「ど」と同じように「非常に」「大変」といった強調語的な使い方だ。
みなさんも「鬼のよう」を鬼のように使おう!

写真は鬼のような魚
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2006年11月06日

バイト敬語(新丁寧語) 

最近ものを買うときに妙な違和感を感じる。特にコンビニなど若い店員さんだと、いろいろな言葉づかいで応対してくれるので、内心楽しみでもある。
よくいくコンビニのおねえさんは、すました顔で
「○○○で〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜す」と語尾をやたらのばす。
語尾を必ず上げる店員さんとか、まるで高級ホストクラブのような物腰と指先で商品を袋詰めしてくれるおにいちゃんは言葉づかいも女性っぽい。
そもそも変な日本語が多いのだ。
今日はドーナツショップで1万円札をだしたら、
「1万で....」(で、なんだよと思ったが)といわれたので「お願いします」と応えた。
よく耳にするのは「1万円からのお預かりでー」(2万円、3万円....)って、「時そば」じゃないんだからさー。
こうなると丁寧さは長さに比例するのかと思ってしまう。
「1万で...」「1万円で...」「1万円からで...」「1万円からのお預かりで...」
「1万円からお預かりしまーす」
「1万円からでお預かりしまーす」
「1万円からのお預かりでよろしかったでしょうか」(とにかく「からのお預かり」って変)

そう思って調べたら、こちらに詳しく書いてありました。
http://www.geocities.jp/quigon_masterjedi/nihongo.html

さらにいろいろなバージョンがあるようで──
「え〜っと1万円からでよろしかったですね」
「1万円からお預かりになりま〜す」(自分に“お”つけるなよ)
「1万円からお会計失礼しま〜す」
「1万円のほうからお預かりしま〜す」(“ほう”からかよ)

究極は──
「1万円からお会計のほう失礼させて頂いてもよろしかったでしょうか〜」
「え〜っと、1万円のほうからのお預かりでお会計失礼させて頂く形になりますがよろしかったでしょうか〜」

だからといって、決して嘆かわしいなどとは思わない。
むしろ興味津々である。たとえ「どちら様でしょうか」を「何様ですか」と聞いても。
うーむ、言葉は生きている。
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2006年11月01日

明けましておめでとうございます 

129_1.jpg

まだそういう時期ではないが、マメな方はもうそろそろ年賀状を書きはじめているのではないだろうか。
ワシも今日はじめて知ったのだが、年賀状の「賀詞」には、それなりにマナーというものがあるということだ。
年賀状の祝詞でよく使われる言葉に「寿」「福」「賀」「賀正」「迎春」「新春」「謹賀新年」「恭賀新年」「敬頌新禧」などあるが、漢字1字の「寿、福、賀」や、漢字2字の「賀正、迎春、新春」などは、祝詞ではあるが、敬意や丁寧さに欠けるきらいがあるので、目下の人に使用するべき。目上の人には「謹賀新年」など4文字の賀詞を使用するのがよいとされている。のだそうな。確かに2文字以下は「謹んで」っぽい意味合いの文字がないので納得もできる。
まあ年賀状に限らず、乱れきっている日本語なのだから、今さら「これが正解だ!」などと喚いたところで、それは昔の話。送った人も送られた人も気づいていないのだから、いまは「全然オッケー」なわけです。

そもそも「祝詞」は(のりと)と読むと思っていたが、こういう場合は(しゅくし)とよむのだらうか。
「敬頌新禧」にいたっては、読むことすらできなかったでござる。打つのに苦労したが(けいしょうしんき)と読むのだそうろう。
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